おなつお夏狂乱(常磐津)
坪内逍遥先生の有名な作品であります。近々舞踊会で出るので、勉強ついでにツケを作ってみました。
舞踊会ではほとんど常磐津さんだけで上演していますが、本来は長唄との掛合の曲なのですね。掛合も何回かやらせていただいたことがありますけど、囃子方的に内容は変わりません。
これまで使っていたツケはだいぶん大ざっぱでありまして、簡単なキッカケの歌詞やセリフしか書いていないものですから、若いころは「次は何だっけ…」なんてツケを見ているとなかなか次のキッカケが来なかったり、逆にすぐに来てしまって慌てたりしたものでした。そこでこのたびは情報量が多すぎて読みづらいのは承知の上で、歌詞やセリフをなるべく詳しく記述した、ちょっと「クドイ」ツケを作ってみることにしてみました。
あらためて感じたことは、現行の舞踊会での上演では「省略が意外と多い」ということでありました。
幕が開いて「行く秋の」と唄いますと、ここから始まるオキ唄はけっこう長いのでまず省略されて、すぐに「紅葉も今日は散りぬらん」と、里の子供たちが登場する<豆太鼓>のキッカケになってしまいます。
始まった<豆太鼓>は途中から<桶胴フチ回シ>が加わって賑やかさを増します。けっこう長いので「いつになったら終わるのかしらん…」と、心配になってきたころにやっと終わります。
合方に少し<風音>を打って「加茂の競馬の膝栗毛」で、元のツケでは<大小鼓>の手がご丁寧に常磐津の流派ごとに二通り記述されていましたけど、これを打ったことは一度もありません。このクダリはたいがい省略されてしまいます。
子供たちがお夏を見つけていたずらをしかけようと舞台袖に引っ込んでしまうと「向ひ通るは…」とお夏の出になりますが、このクダリも省略されることがタマにあります。省略して二上りの「笠や笠…」にいってしまうのです。ここで<水音>と共に<オルゴール>と竹笛が<ショー(笙)>をあしらって、お夏さんが登場します。
このあとは<風音>をあしらいながら、合方で3回ほど<オルゴール>で狂っていただいて、また<豆太鼓><桶胴フチ回シ>で子供たちが再登場です。
子供たちにからかわれる中で、お夏さんが「田舎唄」というのを唄うところへ<田舎笛>に加えて<キヌタ>を打ちますけど「今のお客様は<キヌタ>なんてご存知なのかな…」なんて、ちょっと思ったりします。この<キヌタ>は大太鼓の樫バチで代用しても同じような音がしますので、わざわざ本物を用意しなくてもまず問題はありません。それより歌詞の邪魔にならないように、間を縫って上手に打ちたいものです。
子供たちのいたずらにお夏さんがブチ切れて、全員が舞台袖に引っ込みますと<駅路>が鳴って、今度は馬子が登場します。この登場のシーンには曲に合せて<禅ノ勤メ>という囃子をあしらいます。花道で踊り終えて居直りは<山ヲロシ>にしましたが、<風音>を打つ人もいます。これは本来大道具さんのお仕事なんですが、あれば<蛙ノ声>をやったりもします。
馬子さんのセリフ「ぬしゃ地蔵どんじゃないかい」で<双盤ツメ>をあしらったあと、常磐津の「飲まんせんかいな」で「ガンドドガンドド」と<双盤>を打ち、さらにセリフをはさんで<カンカラ>を打ちます。この<双盤>と<カンカラ>は、酔っぱらったオジサンの陽気な気分をよく表しているようにも思います。
<c>の途中でお夏さんがフラフラとやってきます。馬子のオジサンはお夏を見つけてなんだかエロエロモードに入っちゃうんですが、すぐに「このオネーチャン、ヤバい!」とばかりに逃げていくことになります。
馬子のオジサンが引っ込んでしまいますと、<山ヲロシ>を打上げて<本釣鐘>を一発かまします。これは<本釣鐘>じゃなくて、ドラで「ゴーン…」とやることの方が多いかも。
あとは日も暮れつつあるということで曲調も寂しくなっていくんですが、ここはいろんな演出がありまして、それによって囃子の仕事も変わってきます。ですからツケの方も細かく書き込んでもあまり意味がないので、鐘を打つガイドくらいにしておきました。
お夏さんが悲しみのあまり「ヨヨヨ…」と泣き伏して終わることも多いので、<鐘の音>と水音くらいですませちゃいますけど、巡礼さんが登場してきてたら<松虫>や<レイ>をあしらったりもします。
その巡礼さんもお地蔵さんにお祈りしたり、お夏さんにお節介をやいたり、いろいろであります。ただ通り過ぎるだけ、というのもありました。どのみち最後はお夏さんが独りで泣いて終わっちゃうんですけど、ここは<空笛>で幕を降ろして最後は「ゴーン…」で終わります。
この「狂乱もの」っていうんでしょうか、主人公の心がちょっとイッてしまったまま幕切になる時に<空笛>っていうのは、もう「お約束」みたいなものでしょう。長唄の「二人椀久」とか清元の「保名」なんかもやはり<空笛>で幕になることがほとんどです。
<空笛>は主人公の悲しい気持ちを表現するお笛だと思うのですが、これを聴いた時点でなぜか「所詮は他人事」という気持ちになるのは私だけでしょうか。私は、おかしくなった主人公に感情移入したまま観客を家に帰さないための「安全弁」になっているように思うのです。
ダウンロード お夏狂乱_常磐津(pdf書類)